○宮澤参考人 ただいまの御質問に対しまして、上海方面の実情をちよつと御説明申し上げたいと存じます。お金はどうせ持つて帰れなかつたのではないかという御質問のように承りますが、まつたく事実は表面上その通りであります。当時この騒然たる上海におきましての日本人の考え方というものは、まず大約して二通りあつたと考えられるのであります。たとえば千円しか持つて帰れないということは表面の事実でありまして、そのときに、
宮澤綱三
○宮澤参考人 お答えいたします。私個人の提供額といたしますと、最初官憲が呼びかけましたときには、儲備券という建前になつておりましたために一億単位、これを法弊に直しますと五十万元であります。自分といたしましては一口を出し、自分の家族あるいは店員などといたしまして三口すなわち百五十万元、これを出したのであります。
宮澤綱三
○宮澤参考人 私は上海方面に三十二年の間、居住しておりました宮澤であります。先ほど来大使館参事官の岡崎さんから、大体におきましての上海のスケールをお述べになつたのでありますが、岡崎さんの立場は政府を代表するような意味でありますので、私は債権者の立場から一応意見を申し述べさせていただきたいと思います。私は政府が国の債務として認めておりますところの、公館借入金に対する提供者の一員でありまして、昭和二十一年三月早春
宮澤綱三